美しいものに寄せる審美的な喜悦の大部分は、(...)その瞬間にいっさいの意欲、すなわちいっさいの願望や心配を絶して、いわば自分自身から脱却し、われわれはもはやたえまない意欲のために認識する個体―個体とは個々の事物と対応するものである―ではなしに、意志を離れた永遠の認識主観―これは イデアと対応するものである―になっているということにいつにかかっているのであるわれわれは知っている